山田カイロプラティック施術院は沖縄で25年間クチコミだけで続く職人の施術です

電話番号.098-855-4282
沖縄県那覇市識名3-21-29
私のルーツを語りたいんです。

私のルーツを語りたいんです。

この一月余りカイロプラクテックについて
色々書いてきましたが私のプロフィールをも
少しず書いておきたいと思います。

 

 

 

このブログは(うちなーんちゅ)沖縄人だけで
なく(ないちゃ~)日本人の方もお読み頂いて
いると思いますのであらためて自己紹介
をさせて下さい。
山田と言う苗字を読まれると(やまとぅ~)名~
だから向こうの方だと思われる方が多いと
思われるので誤解のない様に、ちゃんとした
うちな~んちゅ沖縄人です。

 

 
中学までは○宮城という言う性を名乗っていました。
(○には上が双で下が牛という難しい字です)
今では、この性の名前を解る方も少なく成って要る
と思いますが、(ぐしみやぎ)と呼びます。

 

 

 

私が小さい頃には良く首里などに行くと、
お爺さんやお婆ちゃん達は(あれ、ぐしま~ぐしく)
だね~って呼ばれたものです。

 

 

 

私の名前が山田に成ったには高校生に成って解明
したのです。

 

 

 

一応、私のご先祖様は渡嘉敷親雲上と言われています。
よく私の従弟兄さんは酒を飲むと何時も世が世ならと
必ず話をするのが癖でした。

 

 
私が記憶する頃には、お爺さんはこの世に居なく記憶に
は有りませんが、としぼう~までは、お爺さんに抱っこ
されたんだよ~って良く話をされました。

 

 

 

たいそう自慢の、お爺さんだった見たいです。
お爺さんは昔でいう首里の侍気質だったのでしょう。

 

 
廃藩置県の降りかたかしらを切るのが嫌で幼い子ら
を連れて今の東村高江に移住され生活をしていましたが
子供達が大きく成ると高校が無いと言う事で国頭半治に
移り居を構え生活したのです。

 

 
私は那覇の楚辺で生まれましたが小さい頃から半治に行く
のが大好きでした。

 

 

私の記憶には、おじい様は居ませんでしたが
婆ちゃんや叔父さん叔母さんや従兄弟、従姉妹が沢山
いましたので楽しみでした。

 

 

 

その頃、まだ稲作をしてたので母が手伝いをして炒る間、
私は川や畑のあぜ道、山に遊ぶのに、

 

 

 

全て年上の方たちに一緒に遊びを教えて貰いました。

其れと一番良かったのが家でした。

 

 

私がまだ小さい頃、那覇でもまだ、藁ぶきの家が多い頃
でしたが、お爺さんの家の作りは那覇に有る家の作りとは
全然違いました。

 

 

屋根は高いし何よりも囲炉裏が有りまるで今の白川郷の
家の様でとても素敵な所でした。

 

 

 

その家が無く成ったのは私が小学3年生の頃だと記憶しています、。
何時もの様に半治に母とお米んお収穫の手伝いに行くと瓦葺の
家は無く国道をまたいだ道向うに瓦屋根のお家に変わって居て
私には子供心に思い出が消えた様な非情に残念な思いが
今も残っています。

 

 

 

 

 

私の父は与論島の出ですがやはり首里からの地頭として
与論に派遣された様です。

 

 

 

与論のお婆ちゃんの一番の楽しみは

当時、テレビから流れる沖縄芝居が何時も一番の楽しみだよって
話を聞かせて貰いました。向こうの方言はいさいさか本島とは
違いますが、お年寄りの方は私が話す方言は殆んど聞き取れた
ようでした。

 

 

 
此れも不思議な縁なんでしょうね。
私の父方、母方とも同じ渡嘉敷からの別れでちなみに、
有名な平和祈念堂の像を作られた(故、山田真山さん)
も私と同じ渡嘉敷親雲上をルーツを同じくされる方です。

 

 
私の兄や従兄弟の兄さん達は平和祈念堂
で真山さんに会われた様ですが、まだ幼かった私達は行って無い
のが今となっては残念です。

 

 

 
今回は私のルーツに付いて書きましたが、ちなみにこのブログを
読まれて入る方には大分、お歳をめされた方達が入る筈ですが
一番最初の私が東村から那覇に来て治療院をしたのが
上間の部落内で六年、その当時は上間治療院と名前を
付けていました。

 

 
その次が識名で沖縄腱友館で18年やってました。

そして今、改めてブログを初めてやる事になり山田カイロ施術院と
したのです。

 

 

 

 

何故これまで山田を全面に出さなかったと言うと
ないちゃ~と勘違いされるのが嫌であえて出さなかったのです。

 

 

 
出もこのブログを書くに辺り私のルーツを皆さんに知って貰う事で
うちなーんちゅとしての誇りが持てる気がします。

 

 

最後に此れだけは言わせて下さい。

 

 
私は若い頃、東村高江の10年お世話になりました。
今オスプレイの問題になっていますが、あれは国有地だからと
いいますが、
本来、琉球のもので有り木々一本、草や川や動物達
石から塵あくたまで琉球のご先祖さま達が残してくれた大事な物
なのです。

 

 

尖閣の問題にしてもです。

何故?琉球が出て来ないのか私は治療で
八重山、宮古、久米島、伊是名、伊平屋など離島も廻りましたが
それら全て与論島も含めて琉球です。

 

 

 

そこに住む人たちのご先祖達
が残してくれた大切なものです。傷をつけて欲しくないと言うのが
全ての沖縄人の心である筈です。

 

 

 

今回も長い文章にお付き合い下さり感謝します。

これからも宜しくお願いします。
良い年始年末をお送り下さい。

 

 

 

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です